Saturday, July 16, 2011

因果というもの

おととい、昨日と、ちょっと国境を越えてスイスのチューリヒへ行ってきました。詳しく書きませんが、過去、現在、そして未来が交錯する刺激の多い一日でした。

遠く離れたドイツ国内の街へ行くより、隣国の都市チューリヒへ足を運ぶほうがはるかに簡便なのです。ただ、物価が非常に高いことに注意しながらの小旅行となります。ミネラルウォーターはペットボトル一本で 4 CHF (スイスフラン)などの値段になります。

人、場所、そして研究対象、いろいろなめぐりあわせがあります。そしてそれがときに、サイエンスの範囲を越えて、極めてプライベートなところに踏み込んできて、自分の歩んでいく方向を照らしてくれたりと・・・。

チューリヒの街のはずれにある丘からの眺め 中央から右に広がっているのがチューリヒ湖

思い通りにならないこともありますが、それは何をやっていても同じ。それでも、しっかり自分で創っていくということ。まだまだこれから長いのだから。いまドイツでも、このさき日本へ行っても、いろんな可能性を追求し、前へ!

Thursday, July 14, 2011

本当に「ゲノム時代」到来か?

女子サッカー、決勝進出ですね。同じ土俵で胸を張って闘えていることが感じられます。サイエンスでも、同じことが繰り広げられなければいけません。

このブログ、文化の違いなどについての内容が増えています。少し研究の中身に関連したトピックを書きます。

最近のいわゆる次世代(massively parallel)シーケンス技術の発展は、ゲノム(そしてエピゲノム)解析を本当の意味で豊かにしているのか?タイトルはそういう意味です。もちろんその通りなのでしょうが、いろいろ難しい要素もあります。

私自身が関わっているゲノムシーケンスプロジェクト、そして伝え聞いた情報などから、次世代シーケンス技術以前、そして移行期に進められたプロジェクトでもまだまだ解析途中、投稿準備中などのものがいくつかあることを把握しています。

そもそも技術的に難しいゲノムであるとか、生物学的にゲノム解析の切り口が見つけられないとか、単に従事している研究者が忙しいとか、理由はいろいろですが、いわゆる非モデル生物のゲノムシーケンス解析は、結局人の手、あるいは人の目が律速となっていて、いまだ技術革新の恩恵を最大限に享受できていない印象があります。単に配列解析結果を記述するための論文を出版することは可能だとしても、もはやそれではいい雑誌には載らないでしょうし、やる以上はバイオロジーに切り込む(表現型を少しでも説明する)ような解析結果が求められるのが現実です。

GOLD Genome Databaseというページには、あらゆるゲノムプロジェクトがリストされています。米国のNHGRIのページには、さらにパブリックなゲノムプロジェクトを見つけることが出来ます。しかし、どちらのリストも、「計画されているが始まっていない」ものを含んでいます。実際に、ごく最近学術雑誌に出版されたゲノムプロジェクトはいくつあったでしょうか?思いつくもの、多くないと思います。手こずっているものは意外に多いのです。

出版された論文や査読にまわってくる論文、Introductionを読むと、基本的な情報としてそういった凍結されたゲノムプロジェクトを丁寧に紹介しているのを、しばしば見つけることができます。進んでいないプロジェクトだとしたら紛らわしいですね。

中国のBGIも加わり、Genome 10K プロジェクト というのも進められています。果たしてどのくらいのゲノムを、どの精度でアノテーションし、どういう形で生物学者がその結果に触れることが出来るようになるのか、興味深いところです。

技術は進んでも、出てきたデータを見極めて新たな発見をするという「センス」、この重要さは変わらないはずです。それをどう鍛えますか?

Wednesday, July 13, 2011

EMBO Long-Term Fellowships

ポスドクフェローシップの情報です 締め切りは来月15日

他にも、主にPIの人のためのEUワイドなグラント、FP7というグラントプログラムの様々なカテゴリーの公募が出ています

EUワイドなもの、国レベル、州レベル、 そして財団系と、情報集めは大変ですが、欧州では応募できる機会の多さの面では非常に恵まれていると思います。中でもドイツはとくに。

しかし、ある段階以上の「ポスト(職)」が多くない、という意味では他の国と似た状況です。

Tuesday, July 12, 2011

研究者のストレス-論文執筆

Nature誌に研究者が論文執筆にどう向き合うべきかについて、興味深い記事が載っています。

“I should write when I feel ready, and I don't feel ready yet” と思って、書くべきときが来るのを待っていてはいけない。もう今すぐ書き始め、書きながら欠けているものを探すべきだ、と。

これでうまくいくものばかりではないかもしれませんが、概ね同意します。以前ここで扱った記事(2005年の記事の Rule 7)にも似た文句がありました。

意外と時間がないときのほうがいい仕事ができたりもします。初稿から最終稿くらいのつもりで気合を入れて、でも時間をかけすぎずに書けるのが理想です。時間がないときは、本当にそうやってどうにかするしかないのですから。

このNatureの記事には “the 'snacks' have to be regular — 45 minutes once a week doesn't work, but 45 minutes a day 5 days a week does wonders.” とあります。 そういうことなんです。でも、これを実行するのはなかなか難しいんです。

Monday, July 11, 2011

サッカーに見たドイツの女性

一日たって、落ち着いてこの話題に触れたいと思います。正直、こちらの生活における文化の壁などで溜まった鬱憤晴らしにムキになって見てしまいました。

(もちろん毎日鬱憤ばっかり溜めているわけでは決してないのですが、地に足つけてそこそこの期間暮らしているとやはりいろいろあります)

特に日本選手と比べた場合、身長、体格が違うことが 最初の衝撃だと思います。そして、プレーの中身(ヘディング、サイドチェンジのための強いパス)は男子に追いつきそうなレベル。

ドイツの女性、街でも力強いシーンを頻繁に見ます。子連れの自転車ママの常套手段は、牽引(けんいん)車です。これはヨーロッパの他の国でも見たことがありません。

昨日の試合は、まさに日本チームのメンタルの勝利だったと思います。ドイツのチーム、メンタル的に脆かった。しかし、けっしておとなしいわけではないです、ご覧になったとおり。

やはり、この国では文句を言わないと進まないこと(=文句を言えば言うほどよく進むこと)が多々あります(もちろん他の国でもそうでしょうけど)。女性といえども、黙っていては損をします。その文化を生き抜くメンタリティはドイツ人には備わっています。昨日の試合にそのアナロジーを見ることが出来ました。審判、敵チームへの態度、そして、点を入れられたときのリアクションなど。ただ、そのメンタリティは勝利に必要な種類のものではありませんでした。

試合後、ドイツのある選手が公式談話として口にしました(Sueddeutsche.deより)。

" ...... Wir hatten alle Pipi in den Augen " 「(かなしすぎて)おしXこがぜんぶ目からでちゃうくらい」

・・・ なでしこは絶対に言いませんね。